HSPMayaのメモリー日記

HSPのMayaが日々を綴る

事故の後の不思議体験

高齢者との事故の後から

私にとても不思議な事が起こり始める

 

会社で面談したり

商談したりする場面で

後ろの壁が白い場合に相手のエネルギーのような

陽炎のようなものが見え始めたのだ。

 

私はHSP気質なので子供の頃から

敏感で、こんな感じで見えていた時期があった。

だからといって霊が見えるわけではない

むしろ宇宙人

 

忘れられないのは 

大阪万博に小さい頃親に連れて行ってもらった時に

隣に座っていた外国人のように見える

親子連れの子供の方が宇宙人だった

絶対人間じゃないって直感が感じて

ジーっと見ていたら父親に叱られた。

 

話はそれたが

事故がきっかけで

子供時代に見えていた

オーラのような

陽炎のような色がまた見えるようになって

この色が意味するものが

どうしても知りたくなり

 

以前息子の事で悩んでいた時に

受けた事があるスピリチュアルカウンセラーの方の

オーラリーディングを受けてみた。

 

色にはそれぞれ意味があり

見える場所によって過去や未来

また持っている性質などもわかるようだ。

 

その先生は

人柄的にも良い方でいわゆる

霊能力者というような怖そうな人ではなく

良心的な料金でカウンセリングをして下さる

本当に優しい方

 

見て頂いた結果も

とても納得のいくものだったし

実は私も事故の後

色が見えるようになったと告白したら

 

リーディングのやり方や

専門的な事も教えてもらえるとの事だったので

受講を決意して

しばらく通う事となった。

 

高齢者との事故から池袋交差点事故を想う

自分を責める癖がある

HSPの私は

自分の思い違いなのだろうか

とずっとグルグルと考え続けていた・・・

 

通勤時間で

私は右折→青のタイミングで

交差点に進入している

だから赤で止まっていた車が

青になったと勘違いでもしない限りは

あの場所でぶつかる事は不可能・・・

 

 

暫くすると事故現場に立っていた看板を見たと言って

目撃者の方から連絡があったと

警察から連絡があった・・・

 

すると

警察の方が言うには

私の相手の高齢者が運転する車の隣で

赤信号で止まっていた方だという

 

その方はまだ赤なのに

スーッととなりの車が発信するので

つられて発信しそうになって

慌てて止まったら

 

そのまま走って交差点に進入していった

この高齢者の車に私がぶつかったらしい

 

警察の方は「説明にも信ぴょう性があるので

たぶん相手の高齢者の男性が勘違いしたような感じがします。

でも、私は警察なので中立な立場でしか

お話はできませんが」・・・との事。

 

早速、この話を弁護士さんに伝えて相手の保険担当者に

連絡を取ってもらった。

これを伝えたら、私の以前のように

自分の勘違いだったのかな・・・と少しは

思ってくれるのかな・・・と少し期待

 

しかし、相手が言うには

「そんなどこの誰かも分からない人間の言ってる事なんて

あてにならないし、嘘を言ってるかもしれない」

との主張らしい。

 

最初は交差点の事故だし

もう自分の保険も既に使っているのだから

相手が認めてくれれば

1対9でも、2対8でも私はあまりこだわっていなかったが

 

ここまで認めないと

ずっと自分の勘違いなのかな

自分の方が悪かったのかなと

責め続けていただけに段々腹が立ってきた。

 

弁護士さんも

見ず知らずのどこの誰かも分からない人だから

信ぴょう性があるのに

何言ってるんでしょうね~と・・・あきれていた。

 

私のこの事故は

2019年4月にあった

池袋の交差点で起きた高齢者の事故が

まだ記憶に新しい夏におきたこと

 

何の落ち度もない母子の命が

一瞬にして奪われた。

 

この事故を起こした高齢者は

通産相工業記述員で当時88歳だったそうだが

今だ自分の落ち度を認めず

車の故障だと言い張っているという・・・

 

裁判を見たご家族はどんな気持ちだっただろう

認めないのに謝罪してるのって

違うんじゃない

それなら謝ってほしくなかったという

コメントを述べられていたという

本当にそう思う。

 

車がないと不便なのはわかる

高齢者になると

病院に通ったりと車がいるのは分かる

 

でも人に怪我をさせたり

最悪の場合はこの池袋交差点事故のように

人の命を殺める・・・

 

人生最後にそんな事はしたくないはず

高齢者の皆さん

免許を返納して

コロナで売上が落ちている

タクシーを使いましょう!!

 

買ったり維持費を考えると

タクシーの方が安いんだから・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラレコは付けるべきだったなぁ~ 後悔

私の愛車の

フィアットにはドライブレコーダー

搭載していなかった。

今から考えれば付けておくべきだったと

深く後悔した。

 

というのも、相手の車のドライブレコーダー

画像があればと期待していたが

 

警察から電話があって

どうも写っていなかったらしい

猛暑でSDカードがダメになっており

画像がまったくないとの事

 

うそ?と思っていると徐々に

身体がおかしくなってきて

首と全身に激痛・・・

 

病院に行ったら

凄いいきおいで激突しているので

全身筋肉痛と首のむち打ちだそうだ

でも無事だったのは強度が高い愛車のお蔭

FIATに感謝。

 

ずっと緊張していたので

自分の体の事にまで気持ちが及んで

いなかった。

 

私の方の保険屋は

出勤途中ですから労災ですよねと言う

 

確かにそうだが・・・

何かこの時からこの若い女性の保険担当者に

不信感を抱く

 

相手の運転者も同乗者のおばあさんも

一切自分たちが赤だったことは認めず

青になったのを確認して発進したと言い張っているそうで

平行線のまま

 

自分を責める癖がある私は

段々自信がなくなってくる

自分の思い違いなのだろうか

私が信号を見間違ったのだろうかと

 

でも私が赤だったとしたら

他の車も交差点に入ってきているはずだから

あれほどひっくり返っているのだから

他の車にもぶつかるはず

 

理屈から言っても私が青だったよね・・・と言い聞かせる毎日

家族や友人、会社の人達も私の普段の運転を知っているので

絶対赤で行くはずないと言ってくれる

 

しかしあの事故の後、車に乗るのも怖くて

トラウマになってしまった。

 

しかし、会社には車通勤しか方法がなく

自分の保険に付帯していた30日間の代車保証を

つかってレンタカーを借りて通勤

 

相手が認めない以上、自分の保険を使って

車の修理か新車を買い替えるしかなかった。

しかし修理するには130万ほどかかると言われたので

自分の保険と追い金で車を購入することになる。

 

何だか釈然としない気持ちを抱えながら

保険屋からの進捗を待ったが

担当者が相手の主張に言い負かされている感じで

仕事で多忙な中、やりとりするのもストレスだし

いっこうにむち打ちが良くならず

段々と体調不良に・・・

 

仕事の最中も電話対応に追われ

その時期はシステム変更の大きなプロジェクトを遂行中で

精神的にも余裕がなかったので

 

息子の自分名義の保険についていた

弁護士費用300万まで補償を使って

弁護士に依頼をした。

 

改めて思う

ドライブレコーダー

絶対付けた方がいいね・・・

 

画像さえあれば すぐに終わるはず

だったのに

これから長い闘いが始まっていく事になる・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を責めるHSPの交通事故

たぶん高齢者と思われる

男性が運転していた

白いコンパクトカー

同乗していた60代か70代前半くらいの

おばあさん・・・

 

車から救出された後も

こっちは青だったのに!

ドライブレコーダーがあるからすぐに

わかるからね!と罵声をあびせ続けていた。

 

ひっくり返った車の中から救出される

お爺さんは放心状態

 

周りの人から見たら

私が信号無視してぶつかった体になっていた

と思うのだが、いや違うでしょ?

あなたが赤だったよという意識は全くなかった。

 

私はHSP気質なので

何か起こる事は自分が悪いのでは・・・と

まず自分を責めるところがある

 

私の精神状態は、車をひっくり返してしまった為

何故止まれなかったのかと自分を責める気持ちで

いっぱいで

大丈夫ですか?大丈夫ですか?と

声を掛けるしかなかった。

 

 

 

救急車で二人が運ばれた後は

放心状態のようになったが

会社の人もちょうど出勤途中で

通りがかって、私の車を見て慌てて駆けつけてくれて

傍についていてくれたのでとても心強かった・・・

 

私が二人に声を掛け続けている様子をみていた

会社の人はてっきり私が信号無視をしたのかと

思っていたようだ。

 

私の車も完全に大破していて、乗れる状態ではなかったので

保険屋に事故の状況説明とレッカーを呼んだ

 

レッカーを待ちながら

仕事が遅番でまだ家にいるであろう

息子に電話を掛けた

息子の声を聞いたとたん、急に涙があふれてきた。

息子も心配して直ぐに駆けつけると言ってくれたが

当時は息子も大学卒業後就職したばかりだったし

仕事を優先しなさい

お母さんは会社の人もいるし大丈夫だからと伝えた。

 

この日はとても事故が多い日だったようで

かなり

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一目惚れして買った愛車のFIAT


時間待ってから

警察の事情聴取を受けた。

 

私は矢印が青信号のタイミングだったことは

伝えたが、あの事故直後の状況は

私が赤信号でぶつかったような

扱いになっていた。

 

ドライブレコーダーがあれば

すぐに判明する事なので

自分を責めながらも、事故の状況や

記憶をしっかり伝えた。

 

その後・・・

思いもよらない展開が待っているかも知らず

 

 

 

 

 

 

 

何年ぶりの更新かしら・・・

完全に放置していたブログ

あまりにも

時間が空きすぎてしまったが

誰かの役に立つ情報発信もできるかもしれないので

また、始めてみようかと思う。

 

これまで、あまりにも

色んな事があったから

さかのぼったりもしながら

徒然なるままに書いていきたい

 

忘れもしない

2019年の8月26日に交通事故に合った

朝、会社に行く途中

交差点に入ったとたん前に車が急に現れて

ぶつかってしまった。。。

 

信号は黄色で→は青信号

だから車がいるはずがないのだが

白いコンパクトカーだった

 

まるでコマ送りのようだった

これがゾーンに入るという事なのか・・・

 

思い切りブレーキを踏んだが

間に合わずにぶつかって

コマ送りで車体がひっくり返っていく

 

気が付くと、交差点のど真ん中で

私がぶつかった白い車が

いわゆるへそ天状態でひっくり返っている

 

私は交差点から少し離れた

邪魔にならないところに車を停めて

その車のもとに走った

 

通勤時間だったので

車も多く、周りにいた人達も

車から降りて、その相手の車の救助にあたっている

私もすぐに駆け寄った

中に赤ちゃんとかいたら・・・

どうなっているか分からない

 

中から70代後半くらいのおじいさんと

60代か70代前半くらいのおばあさんが

 

おばあさんの方は

こっちは青だったのに!

と暴言を吐きながら

さかさまになった車の中から

救出されたので

良かった無事だったとホッとした。

 

お爺さんは後から

車から救出されたが

もうただ、呆然とした

放心状態だった。

 

 

 

 

 

 

 

エネルギーって

 

エネルギーって目にみえないけど

わかるんだね

この人好きだな

この人はちょっと苦手

 

 

エネルギーが合わない人だと

すごく疲れる。

 

仕事だから

合わせないとって・・・思うけど

なんだか自分のエネルギーまで

吸い取られてる感じがする

 

ちょっとした言葉にも

反応してしまって

気になって眠れない

 

 

 

HSPって

生きづらいね・・・

 

でも病気じゃないんだし

そういう個性なんだろうけど

 

5人に一人はいるっていうけど

そんなにいるのかな・・・

 

きっとでも

そういうのを隠して

うまく折り合いを付けて

生きているのかな・・・

 

 

 

 

 

親友の母の死

9月29日に親友の母が亡くなった 

今年の2月に胆管癌と診断され

闘病生活を送っていた

胆管癌は、自覚症状が無いため

黄疸が出るまで周りも気づかなかったようで

寝耳に水というか

私の親友はただただショックだったようだ

私の母はもともと慢性腎炎で

私が高校2年のときに透析になり

その後ずっと透析患者だったため

私は母を頼りにしたことはない

むしろ、どうすれば母を幸せにできるか

どうやったら少しでも長生きさせることができるか

と考えてきたが

親友はむしろ、母親が支えであり心のよりどころだったのだ

そしてまた、その母も強く信念のある女性だった。

発見の時にすでにステージ4

何度か抗がん剤治療へのチャレンジを試みたようだが

身体に埋め込まれたステントが癌細胞で詰まり

その詰まりを取る手術をしている間に

どんどん癌細胞が広がっていったようだ

ずっと本人には余命が残り少ないことを伏せていたが

ついに大学病院ではこれ以上の手は打てないということで

実家近くのホスピスに移すと聴き

8月の終わりに、お見舞いに行った

ずっと腹水がたまって

動けない状態だったのだが

私が行ったこの日だけは、なぜかとても

元気で、色んな話をすることができた。

帰りに2人になった時

・・・大丈夫だから心配しないでね

私が居るから・・・と言った。

 

私も親友もシングルマザーである。

歳を取ったら一緒に暮らしてもいいね

なんて、言ったりしている

だから、お母さん

これからも、ずっと私が彼女を支えるから安心して・・・と言いたかった

そして親友の母は、結局ホスピスに移されることなく

実家近くの病院で息をひきとった。

 

私の母の命日が9月30日

1日違いである。

 

お通夜に行くと

高校時代の同級生が何人か来ていた

前日に母親の葬式を終えた

同級生もいた。

 

 

母親を亡くすというのは

心の中の芯みたいなものが抜けていくような

からっぽになるような・・・

母が亡くなった時のあの気持ちが蘇る

 

秋が深まりだした

シーンと寂しい夜である。