HSPMayaのメモリー日記

HSPのMayaが日々を綴る

フリーランス

会社から帰って、食事の片付けをしながら

テレビを見ていたら

日本の8人にひとりはフリーランスになる時代だそうだ。

会社などの組織に属さず

ネットで仕事をする人が増えているんだとか

しかし実態はかなり過酷らしい。

フリーのライターで下請けになると

なんと時給92円という人もいた。

内職の方がまだましだ。

 

私の父は自由業の絵描き、つまりフリーランスだった。

売れる絵を描けば、結構なギャラになるが

そうは甘くはなかった。

 

ずっと母が外で働いて

私たちは生活していたが

私が高校2年のときに

母が人工透析に入ってからは

固定収入はゼロ、明日食べる米すらなかった。

私のお年玉貯金を切り崩し、生活費に当てていた。

 

でも、その一番苦しいときに

いつもそばにいてくれた友がいた。

その友とは、ずっと変わらず親友で

彼女もシングルマザーになってから

私が会社に呼び寄せ、ともに働いている

 

私が勤める会社は創業34年になるのだが

ほとんど業績が下がったことがない

本当に幸せな事だと思う。

 

フリーランス

言葉はかっこいいし 

もしそれで生活が成り立つなら

それはそれで良い生き方だと思う

 

私も母の介護や息子が不登校になった時

息子に 「お母さん、虐めとかない学校のあるような

田舎に引っ越して お母さんと二人で暮らしたい」と

と言われた時には

この会社を辞めて、そんな土地に移り住もうかと

真剣に考えたことがあった。

 

でも今は、あの時辞めなくて良かったと思う。

そして会社を辞めずに通える場所の

今の家を見つけて引っ越せたのも 本当にラッキーだった。

職場からわりと近いが 本当にのどかで

自然がいっぱいの場所・・・自然は人の心を癒してくれる

 

自分の直感に従うことは重要なことなんだと思う。

たとえ愛する子供のためでも、自分の全てを犠牲にしてはいけない

 

自分も子供も幸せになる道を探すのだ

道はいくつもあるはず・・・

 

 

 

結婚式

昨日は会社の男性営業社員の結婚式で

今日、出席した人から写真を見せてもらった。

笑顔が素敵な奥さんで、その男性社員も

今まで見たことがないほど嬉しそうで幸せそうな顔だった。

年のせいか、最近めっきり涙腺が弱くなり

思わずうるっときてしまった。

 

最近のわが社は結婚ブーム

昨年は事務の女性2人が結婚

出席させてもらったが、とても素敵な結婚式と披露宴だった。

昨日はこの男性営業社員

そして今日の夕方、当社で最も期待されている

若手の営業所長もつい先日入籍し、奥さんと一緒に

ご挨拶に来てくれた。

これがまた若くて綺麗でスタイル抜群の女性

気立ても良さそうで、しっかり者という感じ・・・

なんだか嬉しくて、またも目頭が熱くなった。

 

しかし、最近は結婚どころか

異性と付き合った事すらないという若者が急激に

増えているらしい・・・

 

息子も先日、出席はしなかったが、成人式を迎えたばかり

ネットでは今年の新成人の75%が交際相手がないという

まあ、息子も彼女がいないのだが

なんだか 将来の日本が心配になってくる。

 

息子にきくと

最近の若者はセフレならぬソフレという

添い寝するフレンドはいるが、彼女や彼氏はいないというのが

けっこうな割合でいるらしい。

う~~ん やはりさとり世代なんだろうか?

息子いわく「俺は添い寝だけなんちゅうのは無理!」とのたまっていたので

ある意味ホッとしたが、こんな会話を母子でするのは

ちょっと変なのかもしれないが

 

私たち親子は かなり何でも話しをすると思う

過去に息子に彼女がいた時期は

けっこうディープな話をよくしたものだ

父親がいないので、私が父親的な役割も果たさなければならない

とにかく彼女ができたと聞いたとき

まずはドラッグストアかコンビニで他の買い物と一緒に

避妊具を必ず買って、常に携帯しておくよう薦めた。

 

まだ責任をとれるわけでもない時期に

相手を妊娠させることはあってはならない事・・・

色気付き始めた息子を育てている、シングルマザーのお母さん方

そのあたりは、母親だからと恥ずかしがらず

よく言って聞かしておいたほうが良いと思われますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町内会

私と息子がこの町に引っ越してきてもう6年目になる

昨年の春から町内の組長をしているのだが

本当にびっくりするのは、

お年寄りがとても元気で、自治会も活発

様々な行事が今の時代でも、盛んに行われている

今日は夕方から

次の役員を決めるための集まりだった。

町内会長は順番としては私たちの組がなることになっており

昨年からその旨を言ってあったので

なんとか納得して頂けたのだが

結構大変な副会長と会計が決まらないのでないかと

思っていたが、わりとすんなり決まってくれた。

 

この場所に引越しを決めたのは

息子が中学の時に不登校になり、その頃私は仕事と介護で

精神的にかなり参っていた。

このままだと私まで鬱になり、共倒れになると思った。

 

たぶん精神科にいっていたら鬱だと診断されただろう

でも、私が相談しにいったのは

スピリチャルカウンセラーといわれる人のところだった。

自分がそういう体質だったこともあり

興味があったこともあるのだろうが

私が行ったのは、著書も出版されている

スピリチャルカウンセラーの先生で

色んな話を聞いてもらった。

 

その時に、「あなたは責任感という重いエネルギーが

べったりはりついてますね。

人は自分を幸せにする事だけに責任があるんですよ」

といわれた言葉が 心に突き刺さった。

 

それまで、母の人生を背わなければ・・・

母を幸せにしてあげなきゃと

ずっと思ってきた。

私は物心付いたことからずっと母の愚痴を聞いてきたし

母が苦労して働いていたのも見てきた

働きすぎて無理をして、結局透析患者になってしまった母

自分の人生を生きているという感覚が

ずっと自分の中にあまりなかったように思う。

 

たぶん、息子が不登校にならなければ

私は母を介護施設にあずけることはできなかったと思う。

 

経済的にそれはできるのであれば

絶対あずけたほうがいいですよ・・・と背中を押され

なんとか決心することができたのだ。

母はとても嫌がったが

息子の事もあったし 自宅から近いところだったこともあって

何とか説得してくれた。

 

その施設に行くとき

なぜか、以前から、ずっと住みたいと思っていた

お気に入りの場所を、なんとなく今日はまわり道してでも

行っておきたいと思い、車を走らせていた時だった。

ふと、オープンハウスの黄色いのぼりを見つけ

吸い込まれるように、その細い道に入っていき

突き当たりの奥まった場所に その家は立っていた。

こじんまりとした、中古物件だったが

家のリビングに一歩足を踏み入れた時、私はすぐに思った

「あ。私はこの家に住む」と・・・・

なぜなら、私がずっとずっと心に描いていた景色が

リビングの窓に広がっていたのだ。

 

水があって森が広がった この景色

池のほとりのこの家に

ずっと前から 私は住むことがわかっていたのだ

不思議だが、10年以上も前にこのあたりを

散歩に訪れた時、こんな場所に住みたいな~

と心に描いていたときに、私の中では

もうしっかりとイメージができていたんだろうと思う。

引き寄せの法則っていうのが 本当にあるんだと

思った瞬間だった。

 

そこからは早かった

息子だって いじめられた相手が

すぐ近くに住むような

今のマンションにいないほうが良いに決まってる

介護施設に母をあずける費用と

中古にしても一戸建てのローンまで払うとなると

かなり大変だろうけど・・・

でも、私はなぜか 妙な自信があった。

なんとかなる! 

 

 

 

 

 

 

グリーンピール

今日は

土曜日出勤日で

私が研修を担当しているので

朝方までその準備に追われ

なんとか無事、全社への研修を

終えることができた

インフルエンザにもならず

なんとか乗り切った!

 

5時半ダッシュで

今日は月に一回のエステの日だ

エステといってもお金持ちの有閑マダム的なやつではなく

私が受けているのはグリーンピールというもので

けっこう痛いのだ、なんというかガラス繊維のたわしでゴシゴシされているような

そんな感覚であるが

実際はハーブを肌の奥まで入れ込んでいるらしい・・・

 

私は大田母斑といって三社神経にそって

青あざがある。

子供のころから少しはあったのだが

20代を超えるころから 少しずつ濃くなって

化粧でも隠せないほどになった。

東京の有名な病院でレーザー治療をしたこともあったが

目の周りの皮膚なので、激痛に耐えなければいけないのと

やけどをさせるので、治療のあとの顔は

まるでお岩さんのようだった。

そんな時、あるサプリメントと出会い

食事も含めて体質改善に取り組んで、かなり薄くなったのだが

まだ、自分としてはもっと薄くしたいと思っていた。

 

3年ほどまえ、腰の調子が悪くて

通っていた接骨院においてあったチラシを見たときに

なんとなく直感的に良さそう!と思って

行ってみることにしたのだ。

それが グリーンピール

痛いし、やったあとはしばらく皮はむけるし

けっこう大変なのだが

やり始めてて半年ほどで首にあったシミは

ほとんどなくなったし

青あざも 少しずつではあるが薄くなっているように思う。

オーナーでエステティシャンの女性(すごい美人)とも

仲良くなって今では月いちで通っている。

 

 

 

インフルエンザ検査

昨日の明け方ごろから

吐き気と悪寒がして

これは息子のインフルエンザが感染ったと思った。

熱も38度ある。

会社に連絡して休みをとったが

インフルエンザだと5日間外出できない

今週末の全社研修は私の担当だ

まずい!色々なことが頭の中をぐるぐる

とりあえず病院にいく・・・

 

鼻の奥の方に長い綿棒のようなものをぐりぐりされ

インフルエンザの検査を受けるも陰性

先生の話だと

熱が出ですぐだと検査に出ないこともあるから

明日また来て下さい・・・と言われた。

 

ひえ~~また明日くるの?鼻をまたぐりぐり?

と思ったが

はい~と言ってとりあえず風邪の薬をもらってかえる

とにかく寝る、寝れば治る

普段はできるだけ薬は飲まず

ちょっとしたものはホメオパシーか気合(?)で治すが

インフルエンザと診断されたら

会社にはいけない・・・

予防にエキナシアのマザーチンクシャー10滴ほどを薄めた水をとって

どうかインフルエンザではありませんようにと

祈りながら寝る・・・

朝起きたら 熱は下がっていた

お~~♪ なんか元気になってるじゃん・・・

 

とりあえず律儀な性格なので

病院にいって検査を受けた

やはり陰性だった!あ~良かった♪

 

ホメオパシーとの出会いを書いておきたい

息子が不登校になってから1年ほど経った頃から

ほとんど外に出れなくなり、引きこもるようになってしまった。

担任の先生やスクールカウンセラーから

精神科に連れて行ったほうがいいといわれ

そのときは藁にもすがるような思いで

病院に連れていったのだが

処方された薬は 統合失調症に使われる薬で

しばらくは飲ませてみたが

昼夜逆転となり、目もうつろになっていき

自分が試しに飲んだところ、もう頭がグラグラして

意識がもうろうとした・・・

これは絶対飲ませちゃいけないと感じ、色んな人に相談をした。

そんなとき、知り合いからホメオパシーが良いと聞き

早速、保険適用外だがホメオパシーも処方してくださる精神科を

見つけ、カウンセリングも受けながら1年ほど通った

カウンセリングの先生との相性も良かったのか

徐々にではあるが 外にも出れるようになっていったのだ。

 

西洋医学を全て否定するつもりはないが

やはり薬の怖さを肌で感じ、ホメオパシーの本も何冊か読み

今ではちょっとした不調は薬はできるだけ飲まず

レメディーを使うようにしている。

 

ホメオパシーも賛否両論あって

あまりにそれに依存しすぎるのはどうかとは思うが

薬に依存することも これもまた危険な事だろう。

 

 

 

ゆとり世代

うちの息子もそうだが

昨年入社してきた新人も

まさしくゆとり世代

ただ、私が社会人になった頃も

「新人類」と言われた。

いつの時代にもある

ジェネレーションギャップなんだと思う。

 

しかし、けっこうびっくりする事が多く

なかなか こちらの忍耐力と

力量が試される。

 

私が社会人一年生で入社したのは

某大手アパレルメーカーだった。

今は女性の営業は当たり前になったが

私たちの頃は女性の営業は皆無で

アパレル業界が早かったらしいが

私が入社した会社が業界でも初だった。

 

だから

とにかく女という事で大きな偏見があった。

セクハラという言葉すらなかった時代

毎日のように地下鉄で泣きながら帰った。

悲しいのではない、悔しいのだ。

なぜ女というだけで

これほど差別を受けるのか、意味がわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マタハラ・パタハラ

1月から

育児・介護制度の休業制度の改定と

マタハラ・パタハラを防止する措置が義務化するらしい

私は会社では総務・人事など ありとあらゆる事を

しなければならないポジションにいて

規約規定なども私の担当なので

改定の準備を始めている。

 

介護制度といえば

私の母は私が高校2年生の時に倒れ

それ以来透析を受けながら

生活をしていたが、透析30年を過ぎたあたりから

透析する時の痛みがひどく

母はもう透析を続けることが困難な状態になっていた。

ペインクリニックに連れていったり

様々な治療をしたが耐えられないと訴えたので

息子が小学校高学年の頃から

自宅で腹膜透析する事となった。

腹膜の浸透圧を使って尿を濾過するのだが

この頃から 母は車椅子の生活になっていて

介護しながら子育て

また仕事も多忙を極めていたので

本当に大変だった。

 

腹膜透析は寝ながら夜中に行うのだが

母はまったく耳が聞こえなかったので

管が身体の下に入り込むなど

透析中に不具合がよくあったが

そのたびに音がなるので

私が夜中に起きて処置をしなければならなかった。

また、腹膜透析に使う水のセットや機械の操作なども

すべて私が行っていた。

そんな生活が3年以上続いた

今考えても、本当によくやったと思う。

 

介護離職を無くすため

制度も変わってはきているが

介護をする当事者の大変さに制度もまだ

追いついていないように思う。