HSPMayaのメモリー日記

HSPのMayaが日々を綴る

町内会

私と息子がこの町に引っ越してきてもう6年目になる

昨年の春から町内の組長をしているのだが

本当にびっくりするのは、

お年寄りがとても元気で、自治会も活発

様々な行事が今の時代でも、盛んに行われている

今日は夕方から

次の役員を決めるための集まりだった。

町内会長は順番としては私たちの組がなることになっており

昨年からその旨を言ってあったので

なんとか納得して頂けたのだが

結構大変な副会長と会計が決まらないのでないかと

思っていたが、わりとすんなり決まってくれた。

 

この場所に引越しを決めたのは

息子が中学の時に不登校になり、その頃私は仕事と介護で

精神的にかなり参っていた。

このままだと私まで鬱になり、共倒れになると思った。

 

たぶん精神科にいっていたら鬱だと診断されただろう

でも、私が相談しにいったのは

スピリチャルカウンセラーといわれる人のところだった。

自分がそういう体質だったこともあり

興味があったこともあるのだろうが

私が行ったのは、著書も出版されている

スピリチャルカウンセラーの先生で

色んな話を聞いてもらった。

 

その時に、「あなたは責任感という重いエネルギーが

べったりはりついてますね。

人は自分を幸せにする事だけに責任があるんですよ」

といわれた言葉が 心に突き刺さった。

 

それまで、母の人生を背わなければ・・・

母を幸せにしてあげなきゃと

ずっと思ってきた。

私は物心付いたことからずっと母の愚痴を聞いてきたし

母が苦労して働いていたのも見てきた

働きすぎて無理をして、結局透析患者になってしまった母

自分の人生を生きているという感覚が

ずっと自分の中にあまりなかったように思う。

 

たぶん、息子が不登校にならなければ

私は母を介護施設にあずけることはできなかったと思う。

 

経済的にそれはできるのであれば

絶対あずけたほうがいいですよ・・・と背中を押され

なんとか決心することができたのだ。

母はとても嫌がったが

息子の事もあったし 自宅から近いところだったこともあって

何とか説得してくれた。

 

その施設に行くとき

なぜか、以前から、ずっと住みたいと思っていた

お気に入りの場所を、なんとなく今日はまわり道してでも

行っておきたいと思い、車を走らせていた時だった。

ふと、オープンハウスの黄色いのぼりを見つけ

吸い込まれるように、その細い道に入っていき

突き当たりの奥まった場所に その家は立っていた。

こじんまりとした、中古物件だったが

家のリビングに一歩足を踏み入れた時、私はすぐに思った

「あ。私はこの家に住む」と・・・・

なぜなら、私がずっとずっと心に描いていた景色が

リビングの窓に広がっていたのだ。

 

水があって森が広がった この景色

池のほとりのこの家に

ずっと前から 私は住むことがわかっていたのだ

不思議だが、10年以上も前にこのあたりを

散歩に訪れた時、こんな場所に住みたいな~

と心に描いていたときに、私の中では

もうしっかりとイメージができていたんだろうと思う。

引き寄せの法則っていうのが 本当にあるんだと

思った瞬間だった。

 

そこからは早かった

息子だって いじめられた相手が

すぐ近くに住むような

今のマンションにいないほうが良いに決まってる

介護施設に母をあずける費用と

中古にしても一戸建てのローンまで払うとなると

かなり大変だろうけど・・・

でも、私はなぜか 妙な自信があった。

なんとかなる!