HSPMayaのメモリー日記

HSPのMayaが日々を綴る

グリーンピール

今日は

土曜日出勤日で

私が研修を担当しているので

朝方までその準備に追われ

なんとか無事、全社への研修を

終えることができた

インフルエンザにもならず

なんとか乗り切った!

 

5時半ダッシュで

今日は月に一回のエステの日だ

エステといってもお金持ちの有閑マダム的なやつではなく

私が受けているのはグリーンピールというもので

けっこう痛いのだ、なんというかガラス繊維のたわしでゴシゴシされているような

そんな感覚であるが

実際はハーブを肌の奥まで入れ込んでいるらしい・・・

 

私は大田母斑といって三社神経にそって

青あざがある。

子供のころから少しはあったのだが

20代を超えるころから 少しずつ濃くなって

化粧でも隠せないほどになった。

東京の有名な病院でレーザー治療をしたこともあったが

目の周りの皮膚なので、激痛に耐えなければいけないのと

やけどをさせるので、治療のあとの顔は

まるでお岩さんのようだった。

そんな時、あるサプリメントと出会い

食事も含めて体質改善に取り組んで、かなり薄くなったのだが

まだ、自分としてはもっと薄くしたいと思っていた。

 

3年ほどまえ、腰の調子が悪くて

通っていた接骨院においてあったチラシを見たときに

なんとなく直感的に良さそう!と思って

行ってみることにしたのだ。

それが グリーンピール

痛いし、やったあとはしばらく皮はむけるし

けっこう大変なのだが

やり始めてて半年ほどで首にあったシミは

ほとんどなくなったし

青あざも 少しずつではあるが薄くなっているように思う。

オーナーでエステティシャンの女性(すごい美人)とも

仲良くなって今では月いちで通っている。

 

 

 

インフルエンザ検査

昨日の明け方ごろから

吐き気と悪寒がして

これは息子のインフルエンザが感染ったと思った。

熱も38度ある。

会社に連絡して休みをとったが

インフルエンザだと5日間外出できない

今週末の全社研修は私の担当だ

まずい!色々なことが頭の中をぐるぐる

とりあえず病院にいく・・・

 

鼻の奥の方に長い綿棒のようなものをぐりぐりされ

インフルエンザの検査を受けるも陰性

先生の話だと

熱が出ですぐだと検査に出ないこともあるから

明日また来て下さい・・・と言われた。

 

ひえ~~また明日くるの?鼻をまたぐりぐり?

と思ったが

はい~と言ってとりあえず風邪の薬をもらってかえる

とにかく寝る、寝れば治る

普段はできるだけ薬は飲まず

ちょっとしたものはホメオパシーか気合(?)で治すが

インフルエンザと診断されたら

会社にはいけない・・・

予防にエキナシアのマザーチンクシャー10滴ほどを薄めた水をとって

どうかインフルエンザではありませんようにと

祈りながら寝る・・・

朝起きたら 熱は下がっていた

お~~♪ なんか元気になってるじゃん・・・

 

とりあえず律儀な性格なので

病院にいって検査を受けた

やはり陰性だった!あ~良かった♪

 

ホメオパシーとの出会いを書いておきたい

息子が不登校になってから1年ほど経った頃から

ほとんど外に出れなくなり、引きこもるようになってしまった。

担任の先生やスクールカウンセラーから

精神科に連れて行ったほうがいいといわれ

そのときは藁にもすがるような思いで

病院に連れていったのだが

処方された薬は 統合失調症に使われる薬で

しばらくは飲ませてみたが

昼夜逆転となり、目もうつろになっていき

自分が試しに飲んだところ、もう頭がグラグラして

意識がもうろうとした・・・

これは絶対飲ませちゃいけないと感じ、色んな人に相談をした。

そんなとき、知り合いからホメオパシーが良いと聞き

早速、保険適用外だがホメオパシーも処方してくださる精神科を

見つけ、カウンセリングも受けながら1年ほど通った

カウンセリングの先生との相性も良かったのか

徐々にではあるが 外にも出れるようになっていったのだ。

 

西洋医学を全て否定するつもりはないが

やはり薬の怖さを肌で感じ、ホメオパシーの本も何冊か読み

今ではちょっとした不調は薬はできるだけ飲まず

レメディーを使うようにしている。

 

ホメオパシーも賛否両論あって

あまりにそれに依存しすぎるのはどうかとは思うが

薬に依存することも これもまた危険な事だろう。

 

 

 

ゆとり世代

うちの息子もそうだが

昨年入社してきた新人も

まさしくゆとり世代

ただ、私が社会人になった頃も

「新人類」と言われた。

いつの時代にもある

ジェネレーションギャップなんだと思う。

 

しかし、けっこうびっくりする事が多く

なかなか こちらの忍耐力と

力量が試される。

 

私が社会人一年生で入社したのは

某大手アパレルメーカーだった。

今は女性の営業は当たり前になったが

私たちの頃は女性の営業は皆無で

アパレル業界が早かったらしいが

私が入社した会社が業界でも初だった。

 

だから

とにかく女という事で大きな偏見があった。

セクハラという言葉すらなかった時代

毎日のように地下鉄で泣きながら帰った。

悲しいのではない、悔しいのだ。

なぜ女というだけで

これほど差別を受けるのか、意味がわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マタハラ・パタハラ

1月から

育児・介護制度の休業制度の改定と

マタハラ・パタハラを防止する措置が義務化するらしい

私は会社では総務・人事など ありとあらゆる事を

しなければならないポジションにいて

規約規定なども私の担当なので

改定の準備を始めている。

 

介護制度といえば

私の母は私が高校2年生の時に倒れ

それ以来透析を受けながら

生活をしていたが、透析30年を過ぎたあたりから

透析する時の痛みがひどく

母はもう透析を続けることが困難な状態になっていた。

ペインクリニックに連れていったり

様々な治療をしたが耐えられないと訴えたので

息子が小学校高学年の頃から

自宅で腹膜透析する事となった。

腹膜の浸透圧を使って尿を濾過するのだが

この頃から 母は車椅子の生活になっていて

介護しながら子育て

また仕事も多忙を極めていたので

本当に大変だった。

 

腹膜透析は寝ながら夜中に行うのだが

母はまったく耳が聞こえなかったので

管が身体の下に入り込むなど

透析中に不具合がよくあったが

そのたびに音がなるので

私が夜中に起きて処置をしなければならなかった。

また、腹膜透析に使う水のセットや機械の操作なども

すべて私が行っていた。

そんな生活が3年以上続いた

今考えても、本当によくやったと思う。

 

介護離職を無くすため

制度も変わってはきているが

介護をする当事者の大変さに制度もまだ

追いついていないように思う。

 

 

 

 

 

 

猫が好き

猫が好きだ

もちろん犬も嫌いではないし

昔は犬も飼っていたことがある

しかし、犬はなんだかとても気の毒になってしまうのだ

飼い主を待つし、寂しがりやだし

従順なところが なんだか私は気を使ってしまうのだ。

猫はその点 とてもマイペース

もちろん従順な猫もいるが

たいていは気位が高く

おいでと言っても気が向かない時はまったく来ない

独りが好きなところも

自分に似ていて共感が持てる

 

私は一人っ子だし

昔から独りで遊ぶのが苦にならなかった。

というよりむしろ好きだった。

友達と遊んでも、虐められる事が多かったからだ。

それよりも自分の好きな絵を描いたり

空想にふけったり、タロット占いをしたりするのが

好きな子供だった。

 

今もそうだが

なぜ日本人は周りと一緒じゃないと虐めにあったり

はじき出されてしまうんだろう

人は皆それぞれ違う

ユニークで個性的な存在

それはすばらしいのに・・・

 

個性的といえばだ

うちに来る人たちはとても個性的な人が多かった

父は良い格好をするタイプ

母は料理上手で世話好きな人だったので

 

しょっちゅう 家に色んな人が来て夕飯を食べて帰った

父が通っていた障害者の職業訓練施設での友人は皆が障害を持っていたので

耳が聞こえない人 目の見えない人

腕が無い人、全身刺青で小指が両方ない人もいた

もとヤクザのこの人は

見た目は怖いが、私をよく膝の上にのせて可愛がってくれた。

私が大人になって、障害を持つ人の為に何か自分にできることを

しようと思うようになったのは

この人達にとても可愛がってもらったからだ。

 

また母の職場の中華料理屋さんにアルバイトに来ていたお兄ちゃんもいた。

母が可愛がっていたらしく、当時学生運動で公安に追われているという理由で

うちに暫くかくまっていた事があった。

その人とは今も交流があり

2年前母が亡くなった時にもわざわざ岡山から駆けつけてくれた。

 

父は怒ると暴力をふるう人だったから私にとって怖い人だったが

友人や母が連れてきた公安に追われている若者を応援するような

優しいところもあった。

 

機嫌がいいと よくバトミントンをして遊んでくれたし

画家の仲間の人達と一緒に よく絵を画きに連れて行ってもくれた

私は父を愛していたし、そして愛されたかった。

そして大人になって、自分自身が親になってから思うことだが

父も母も もがきながら懸命に生き、私を育ててくれていたんだろうと思う。

 

低気圧・・・

今日は朝方雪が降った。

昨夜から息子はインフルエンザの症状ではなく

一日頭痛で苦しんでいたようだ

低気圧のせいかもしれない。

最近は爆弾低気圧なんていう言葉も出てきて

台風なみに発達するようだ。

 

台風といえば思い出すことがある

母は私が小学校の高学年あたりから

腎臓病が悪化して倒れる直前まで働いていた

けっこう遠い場所にある眼科にスクーターで通っていたのだが

 

通勤途中、台風の影響で

小さい川ではあったのだが

氾濫していて道と川の区別がつかず

スクーターごと川に母が落ちてしまったのだ

金槌の母は危うく溺れそうになったが

幸い、近くにいた人に助けられたそうだ。

 

その話をきいたとき

なぜ、うちは父親が働きもせず家にいて

母親がそんな危険な目に合いながらも

外に働きに出なければいけないのか・・・

友達の家は皆、父親が外に出て働いているのに

とあの頃はとても情けない気持ちになっていたのを

憶えている。

 

今思えば

母は世間体が悪かっただろう

毎朝家に夫を残して、スクーターに乗って

働きに出かけるのだから・・・

 

世間体というと

私自信、子供が不登校になって始めの頃

無意識に世間体が悪いと思ってしまった時期があったように思う

子供は敏感だから、そんな親の気持ちを察してしまう。

 

世間体なんかどうでも良い

本当に大切なことが何なのかを見失うなわないようにしたい・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呼吸

インフルエンザで5日間外出禁止となった息子

食事の世話など、一緒に生活しているが

私はまったく大丈夫だ。

私自身 もともと丈夫な方ではないが

母の事もあって、病気になることが

子供にとってどれほど辛い事なのかを

嫌というほど味わった。

だから、息子の為にも元気でいようと常に気を使っていて

かなりの健康オタクである。

 

食事はもとよりサプリメント

健康に良いと言われるものは色々と試している

しかし、5年ほど前から

早朝のウォーキングとヨガを始めてからは

すこぶる調子が良い

また、ヨガをするようになってからは

常に鼻からの深い呼吸を意識するようになってから

ほとんど病気をしなくなった。

 

ヨガとは「軛(くびき)をつける」という意味のサンスクリット語(古代インド語)で、 軛とは、荷台を引く牛馬の頸の後ろにかける横木のこと。つまり牛馬と荷台を結合する、結びつけると事」から始まっているそうで、つまり心と身体を結び付けるため、つまり感情をコントロールする修行としてインドなどで広まったようだ。

 

感情のコントロールができないと

人生は絶対にうまくいかない

父はこれで失敗した。

やっと手にいれた安定した大切な

職場を結局辞める事になったのも

感情の制御ができず、職場の人を殴って解雇されたからだ

その後母が倒れ、生活もままならない状況が続いた。

 

感情は大切だ

快も不快もどちらも大事な自分の感情

だからそれを感じることを否定してはいけない

でもそれを感じる事とコントロールできず

感情のまま行動する事は別なことだ

 

よりよく生きるためには

自らの感情を受け入れ

寄り添っていくこと

 

感情の奴隷になってはいけない・・・・